大源味噌について

大源のルーツ

大源のルーツ

「大源味噌」の起源は江戸時代、文政6年(1823年)にまでさかのぼります。初代竹島平助が、自家製の味噌を天秤棒を担いで売り歩いたことが始まりだと伝えられています。

明治時代に入り3代目にあたる竹島源蔵によって「大源」の基礎が確立されます。

初代源蔵は、人を雇い入れる時に必ず「おまえは一升分のめしが食えるか?」と聞いたそうです。というのも、当時の味噌作りは大変な重労働で、それだけに食欲旺盛で丈夫な身体を持った人材が必要だったのです。初代源蔵は、素材や製法には一切妥協しない、とても厳しい考えを持っており、それが今も大源の基になっています。

 

 

ビジネスの拡大

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明治時代には、すでに大源の味噌は、食の都・大阪の高級料亭や旅館などで使われるほどになっていました。しかし、源蔵氏はさらに陸軍省とのビジネスを始めます。明治36年には、大阪で開催された「全国勧業博覧会」に出品し、優秀賞を受賞。これらの展開により、大源味噌は大阪はもちろん、日本全国に広く親しまれるようになります。

大正時代に入ると海外輸出に取り組みます。当時ロサンゼルスの埠頭に大源味噌の樽詰が積み上げられたのを見て、アメリカ在留の邦人を驚かせたのであります。大源味噌の優秀さは「頭の悪い者は大源へ行って脳味噌を入れ替えてもらえ」という笑い話もあるほど。その後も初代源蔵の精神は受け継がれ、味噌だけでなく醤油の製造を行うなど、事業も拡大していきました。

しかし、太平洋戦争によって、大源はそのすべてを失ってしまいます。

 

 

復興から今へ

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終戦後の全くの焼け野原だった現在地で、大源は再スタートを切ります。食糧難のため、原料の調達もままならないなか、昭和25年に復興を果たします。

戦後の高度成長とともに、人々の食生活が西洋化し、和食離れが起こりました。今は、味噌にとっては恵まれた環境とはいえない時代です。スーパーではだし入りの味噌が売られています。しかし、大源は戦前に比べれば規模は違うものの、ずっと今の土地に根を張り、こだわりの味噌を提供し続けてきました。

他にはない「大源」ならではの味、創業してから今まで、大事に受け継がれてきた味を大切にしたい。
そんな思いで、大源は味噌作りにこだわっています。